ニュル24hをスープラで走らなかった男【TOYOTA GAZOO Racing】

豊田社長がニュルを走った

先月行われたニュルブルクリンク24時間レース、TOYOTA GAZOO Racing のGRスープラで、ドライバー・モリゾウこと豊田章男トヨタ自動車代表取締役社長の参戦が大きな話題になった。このモリゾウが参戦するという情報は、レース直前までオープンにされていなかった。ベテランのモータージャーナリスト陣もレース2日前に現地入りしてから正式に知り、驚かされたというほどだった。

●実際のレースで走ったのは、左からモリゾウこと豊田章男社長、佐々木雅弘選手、ウヴェ・クリーン選手、ヘルフィ・ダーネンス選手の4人

当初、出走するとアナウンスされていたのは、佐々木雅弘、ウヴェ・クリーン、ヘルフィ・ダーネンスの3人と開発・テストドライバー矢吹久だった。その出走しないことになった矢吹に、じつのところは、モリゾウのレース参加はあらかじめ決まっていたことなのかそれとも急遽決まったことなのかたずねた。

●事前ではGRスープラのドライバーに名を連ねていた矢吹久。スープラの開発ドライバーである

「うーん、微妙ですね」

どちらともつかない返事が返ってきた。答えられないという側面もあるだろし、出走してもしなくてもいいよう、あらゆる可能性に備えてもいたのだろう。

レースでモリゾウはGRスープラのスタートとフィニッシュという、花形であり重要なスティントを担当した。矢吹はというと、モリゾウのサポートにまわることになった。サポートというのは当然ながら、同乗するわけではない。モリゾウ出走時のみトヨタ86に乗り、後方を走りながら見守る。実際には何ごともなかったが、暴走するクルマへの対応や、いざというときのトラブルに備えた。モリゾウとは直接2人だけで、カートゥカーでコミュニケーションを取れるように設定した。

「以前は走行中に結構話したんですけど、今は気持ちよく走ってもらおうと思って。ほとんど話さないです」

技術的なアドバイスはほぼ必要なく、路面の状態など安全面で気をつけることを最小限伝えながら走ったという。モリゾウのサポートが矢吹の任務であるとはいえ、自身も同じスピードでコースを走行しているわけだ。そこには独特の感覚があるのだそうだ。

「緊張感はありますよね。何かあってはいけないから。なんのために自分が走っているのか言い聞かせて……、というのはありました」

トヨタ自動車の社長がレースを走って何かあっては元も子もないのだ。

モリゾウに勧めたのは、矢吹だった

矢吹の乗るトヨタ86は順位を求めているわけではない。モリゾウのスティントに合わせると、スケジュールには余裕がある。初日の夜、矢吹はこんなことも言った。

「これから朝まで時間があるんです。洗濯もできちゃうし、ベッドでも寝られる。ビール飲んじゃおうかな」

語尾に音符でもついているような調子で、おどけながら笑顔を見せた。実際には、レース中でアドレナリンが出ている状態では、うまく入眠することはできなかった。シャワーを浴びた直後、同じGAZOO のLEXUS LCでトラブルがあり、サポートに追われたこともありビールに手を伸ばすことはなかった。でも、トラブルがなくても、ビールに手は伸びなかったかもしれない。そんなドタバタでも、少しいつものニュルよりも時間の余裕があったことで体力は回復したそうだ。

「こんなに楽なニュルは初めてですよ」

余裕しゃくしゃくといった風情だった。

そもそも、モリゾウに出走を勧めたのは矢吹だったそうだ。矢吹の本職は開発・テストドライバーであり、レーサーではない。自分が開発に関わり、ドライバーからコメントをもらい、このレース前日まで調整を行った。それこそが彼の仕事なのだ。

「自分は評価ドライバー、テストドライバーなので、お客さんが安全に楽しくいいクルマと言われるのがいいことなんです。今回、スープラに乗らなかったけど、レース前に自分が関わって作り上げてきましたし、モリゾウさんはじめほかのドライバーが乗りやすかったとか言ってくれただけでも本業の仕事はできたかなと。レースで乗りたかったというのはあるけれど、それが商売、仕事なので」

スープラで出走したい気持ちはあるにはあったが、さほど重要ではなかったそうだ。

すべてはクルマへの自信

モリゾウの3スティント目は6月23日の10時ごろからになった。それはちょうど、GAZOO Racingの立ち上げに深く関わり、モリゾウの師匠でもある成瀬 弘さんが、2010年に当地での事故で亡くなった時刻なのだそうだ。成瀬さんはピット内にも写真が飾られるほど、GAZOO Racingの象徴的ともいえる人物だ。(成瀬さんとモリゾウ、GAZOO Racingのストーリーは多く語られている)

レース終了後、チームが集合した最後のあいさつで、モリゾウは情感たっぷりに話した。

「私が午前中、10時から乗るということを聞きまして。じつは予定では9時でした。それが10時になったという意味を自分なりに考えますと、正直運転どころではなかったというのが正直な感想でありました。本来はこのレース、(ずっとスープラの開発を担当してきた)矢吹が出るレースだったと思います。それをスタート、フィニッシュ含めた4スティントを担当させていただきましたが、こういう日でなければ、『矢吹お前乗れよ』と言ってたと思います。私自身も、この日、スープラ、ニュルという(事情が3つ重なった)ので(故)成瀬さんから、『いやいやお前乗れ、俺と一緒に乗ろう』と言ってくれたんだと思います」

話すモリゾウはもちろん、矢吹らレーサーだけでなく、メカニックやスタッフたちも目頭を押さえた。

●矢吹が手に持つのは、故・成瀬弘さんの遺影

最後に矢吹に聞いた。この日だったからモリゾウに出走を勧めたのですか?と。矢吹は静かに首を横に振った。

「(そんなことは)ないです、ないです。まあいろいろうまく重なったなと。(社長に勧めたのは)自信があるからね、クルマに。危なかったら乗せないです」

社長を乗せると言うことは、帰ってきたスープラのクオリティをニュルブルクリンクという地で最大限にアピールすること。そんな開発・テストドライバーとしての自負をのぞかせていた。

〈文=了戒美子 写真=竹花寿実&トヨタ〉