前回東京オリンピック開催年、1964年を振り返る連載5回目は、ホンダ乗用車の始祖ともいえる、S600の試乗記だ。その舞台はなななんと、荒川テストコース! ※毎週金曜連載中
5月に入ったが、1964年4月号から外すことのできないネタをもう1本紹介したい。のちに「エスロク」としてスポーツカーファンに親しまれるホンダ乗用車のルーツ、ホンダS600の試乗記だ。
2輪車で世界のトップメーカーに躍進したホンダは、前年の1963(昭和38)年8月に軽トラックのT360、10月にオープン2シータースポーツのS500を相次いで発売。本田宗一郎社長の夢だった4輪業界への進出をついに果たした。T360は市販車で国産初のDOHCエンジンを搭載したことでも知られる。一方、S500は早くもマイナーチェンジされ、直4DOHCエンジンを531㏄(AS280E型)から606㏄(AS285E型)に拡大したS600へと進化した。
「S500では高回転低トルクエンジンをカバーする減速比の開きに問題点が見られた。クローズドレシオに近づけ、スポーツカーの味を増す――これが“輸出向け”S600の構想ではあるまいか。旧来のモデルは、アメリカのターンパイクに乗り入れた時、あまりにもせちがらい感じが強かったに相違ない」(同号より。以下同)
有力な仮想敵はオースチンヒーレー・スプライト、トライアンフ・スピットファイアといったブリティッシュ・ライトウエイトスポーツ。1L前後のOHVエンジンを搭載し、最高速140㎞/h台、0→400m加速20秒台の性能が相場だった。S600は半分程度の排気量にもかかわらず、2輪界で頂点を極めた超高回転型DOHCによって高出力を実現。両車に肩を並べる性能を可能にしていた。ホンダは4輪界にも圧倒的“ホンダパワー”をもって乗り込んだのだ。
「荒川テストコース(2.4キロ)を往復する簡単な試乗会では、操縦性その他を味わうことはできなかったが、素晴らしいドライビングポジション、アンビータブル(打ち負かすことのできない)な強力なシンクロメッシュ、切れのよいラックアンドピニオンのステアリング等々は、心から賞賛に値するものである。オープンにして2人乗り125㎞/h(8500回転)までのスピードを得ることができたから、ソフトトップをかけ1人ならば最高速は145㎞/hにも達するだろうと考えられる」
荒川テストコースは当時の埼玉製作所(現・和光市)にほど近い荒川河川敷に1958(昭和33)年完成。ほとんどストレートだけの簡易的なコースだったが、舗装路で2㎞以上のストレートを持つ自動車のテスト施設は国内でほかになかった。ホンダは62年に鈴鹿サーキットを開設。それでもF1マシンの初走行には荒川が使われたという。連載第2回で採り上げたF1マシンも、きっとこの河川敷を走ったのだ。
356㏄DOHCを搭載したS360がプロトタイプとして初めてベールを脱いだのは、建設中の鈴鹿サーキットで開催された62年5月の全国ホンダ会総会。同年10月の全日本自動車ショーでは、492㏄のS500も登場した。1年後にはS500が531㏄で正式発売された一方、S360は幻に。そして、半年もたたない64年3月にはS600と、排気量は目まぐるしい変遷を遂げている。
宗一郎は4輪界進出のタイミングをかねてから慎重に見計らっていたが、“エス”とT360の投入は満を持したものではまったくなく、むしろ開発は急遽行われた。61年に通産省(現・経産省)から示された特振法案(特定産業振興臨時措置法案)のためだ。
輸入製品や海外資本に対して、国内企業を保護・育成すべく考案された国策。鉄鋼・石油化学・自動車が特定産業に指定され、自動車産業では企業の統廃合や新規参入の制限を進めるものだった。時あたかも貿易自由化目前。この4月号でも、乗用車の輸入自由化よる「外車攻勢」を脅威と別ページで報じている。当時の国産車はそれほど国際競争力が脆弱だった。宗一郎は廃案にするよう通産省に怒鳴り込む一方、とにかく4輪メーカーとしての実績を作るべく開発を急いだのだ。
試乗記では、超高回転型では異例とも言えるロングストロークエンジンのフレキシブルさとともに、“特装品”のキャリアマットに見るホンダの発想の柔軟さにも注目している。助手席を外したスペースにマットを敷けば、スポーツカーを小荷物運搬にも使えるというアイデアだ。
「かつて2輪車ドリームC70が出現した頃、当時の常識ではスポーツタイプとしかよべない高回転エンジンを載せていたことを想起していただくとよい。その“スポーツ車”が一般のユーザーに売れに売れて、ホンダの今日を築いた。(中略)一部のガンコな“古典派”スポーツカー愛好者に首をかしげさせながらも、世界のレジャーカーとして、あるいはテレビショップや花屋のデリバリーカーとして、流れ出すかもしれないクルマ」
ホンダの常識にとらわれない使い勝手のユニークな発想も、このころからすでに芽生えていた。そして、稿は次のように結ばれている。
「そのユーザーが成長した時、ホンダが再び市場をリードするべく打つ奇策は?――それが750㏄であれ1000㏄であれ、まだその話は早い」
それは、エスのさらなる進化を示唆したのか。あるいは、のちにホンダ1300やシビックとして形になる小型乗用車への期待だったのか…。
〈文=戸田治宏〉
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