なぜ市販化されなかった? 幻のホンダスポーツ360、テストドライブが今明かされる

ホンダスポーツ360。1962年、日本初の軽四輪スポーツ車として登場しながら諸般の事情で生産されず、その試作車の現存をめぐって今も都市伝説が語られる幻のモデルである。そのスポーツ360をなんと路上テストしたことがある、という方がいらした。その証言から、知られざる歴史の断片が見え隠れする。

※オールドタイマーNO.171(2020年2月26日発行)に掲載した内容です


●1962(昭和37)年11月、荒川テストコースにてAS250テスト中の風景。右から新保、伊藤、遠藤、竹内、木村の各氏。後方にS500が2台見える。赤いボディ色がはっきりわかる貴重なショット。ホンダ会で公開された赤いFRPボディ車とは各部のディテールが異なる、鉄板ボディの通常フレーム車

■なぜ消えたのか

ホンダSシリーズの愛好家ならば幻のクルマ、SPORTS 360(以下、S360)をご存知だろう。1962年6月2日に建設途中の鈴鹿サーキットで開催された第11回ホンダ会で赤と銀2台のプロトタイプが披露され(赤は本田宗一郎氏自身がドライブ)、同年10月の第9回全日本自動車ショーにシルバーが展示された。1961年、通産省(当時)が示した「特振法」(特定産業振興臨時措置法案=国内自動車メーカーを実績に応じて統廃合し、新規参入を制限)の施行をおそれたホンダが急遽完成させた四輪自動車がS360とT360だった。

●冒頭の写真では後部が隠れているが、こちらは切り落としたようなテールからS360であることは明らかだ(シルバーの車両か?)

S360は排気量354ccながら4気筒DOHCエンジンを積む初の軽自動車スポーツとして注目されたものの、1963年10月、最終的に市販されたのは小型車S500だった。なぜS360は市販化されなかったのか。いくつか仮説がある。

■特振法回避?

「特振法回避策説」。ホンダの新型四輪がともに軽自動車では目を付けられるかもしれない。S360をS500に替えて、生産車のバリエーションを広げた。

■需要がない?

「需要がない説」。S360は2座席のオープンスポーツであり実用性は乏しい。クルマといえばオート三輪、トラック、タクシーという当時の状況を鑑みれば、売れるはずがない。とはいえそれはS500でも同じことでは?

■S360は遅い?

「S360遅い説」。4気筒DOHCとはいえ、わずか354ccだから非力。エンジン特性も高回転型で、一般ユーザーには扱いにくい。つまり、そもそも商品性に問題があったため市販化できなかったとする説である。

…どれもいかにも、だ。これらの理由がからまり合ってS360生産中止の決定が下されたのだろうか。

■まるでレーシングカーですよ

S360の現存車は確認されていない。しかしどんなクルマだったのかを伝えてくださる方がいた。群馬県在住の新保 与輝雄さんである。

1962年(昭和37)年8月、22歳の新保さんは本田技術研究所に就職し、四輪走行試験室に配属された。それまでは新潟のトヨタディーラーで整備士として働いていたが、ホンダが四輪開発の人材を大募集していると知り、上京。試験に合格したのだ。

四輪走行試験室のメンバーは5名。あの木村昌夫さんも所属していた(当時25歳)。そこに新保さんと1名が加わった。入社してすぐにAK(T360)、AS(S360)のテストを担当。技研で仕立てられたこの2台のエンジンを見た新保さんは「とにかく驚いた」という。「それまで僕はトヨタのタクシーやトラックして見てなかったから、まるでレーシングカーですよ」。

最初に面倒を見たのは赤いFRPボディのS360だった。第11回ホンダ会でお披露目された車両である。

「パイプフレーム車ですね。ヘッドライトが変わっていて、透明のカバーが付くんですが、その周囲にオビ状の樹脂成形部品が付いていた。ボディの内側にパイプフレームが走っていて、ラジエターの交換はひと苦労でしたよ」。当時、四輪走行試験室は試験車を走らせるだけでなく、その修理も担っていたのだ。

新保さんの記録写真と記憶からわかるのは、1962年11月、モーターショー後に鉄板ボディ(と思われる)S360 2台(赤と銀)が荒川でテストされていること。そして1963年3月、T360ととおに残雪残る奥日光(栃木県)に持ち込まれたS360の本格テスト車1号はシルバーの1台だったこと。

■1963年3月 奥日光寒冷地テスト

●1963(昭和38)年3月、まだ残雪残る奥日光(栃木県)で寒冷地テストを行うシルバーのスポーツ360(AS250-2X)。後方はスポーツ360を積載してきた三菱ジュピタートラック。T360のテストも同時に行われた
●寒冷地テストの合間、食堂の駐車場でひと息入れる新保さんとAS250-2X=S360。この写真はコンピュータでカラー化したものだが、シルバーの塗色がわかる。ナンバープレートはいわゆる赤ワク、地元埼玉のディーラーで調達したものだろうか
●T360とS360、奥日光寒冷地テストのメンバー。右から伊藤(英)、木村、新保、竹内、遠藤、倉田の各氏

■次第に心地よくなるエンジン音

「奥日光の宿でS360を降ろします。そして翌朝、朝メシ前にS360のセルスイッチを回す。何秒でエンジンがかかるかストップウォッチで計るんです」。

●同じく奥日光寒冷地テストのスナップ(湯本温泉にて)。シルバーのAS250-2Xはドアに①のマーキングがあることがわかる。このテストでは悪路、雪道の走行性、ならびに寒冷地でのエンジンの始動性が試された。結果はおおむね良好だった。さてこのスノータイヤは乗用車用だろうか

写真には、雪道をドロまみれになりながら健気に走るS360の姿が記録されている。印象深いのはやはりエンジン音だ。初めはうるさく思ったが、そのうち慣れて、それが心地よくなる。

●四輪走行試験室の仕事ではエスの印象が強い。N360もテストしていたが、当時はあまり強い印象はなかったという。これはS600(500顔ではない)試作1号車のテストで、1963年末ごろ。アンダーパワーが問題視されていた先発のS500(1963年10月発売)をカバーする形で1964年1月から併売されていたS600は、1963円末には量産試作車が完成していた。試験室スタッフは右から野口(24歳)、新保(22歳)、大山(26歳)の各氏

「最高速度は100km出るかどうか。でもあの時代の軽はそれで十分高性能だったんじゃないかな。なにせまだ、トラックとタクシーしかない時代です。オープンカーで風を切るっていうだけでとてつもなく嬉しかったんですよ」。

ホンダS360よ、永遠なれ。

●1964年1月、S800クーペの試作車が名神高速を疾走していた。高速耐久テストのメンバーは右から新保、高橋、山西の各氏。一宮のパーキングにて

〈資料協力:新保 与輝雄氏 取材:オールドタイマー編集部・甲賀精英樹〉